魏の文帝(曹丕)が漢より禅譲を受けて
即位すると、田豫が護烏丸校尉に任ぜられ、持節の権限を持ち、護鮮卑校尉も兼ねて、昌平に駐屯した。歩度根は使者を送って馬を献上し、帝は歩度根に王の位を授けた。のちしばしば軻比能と戦闘を交えたが、歩度根の配下はだんだんと減り弱体となったため、その配下の一万余戸をひきいて太原郡と雁門郡とに入って安全を計った。歩度根はそのあと使者を送り、泄帰泥に誘いをかけ、泄帰泥はその部族民たちを引き連れて逃亡し、歩度根のもとに身を置いた。黄初五年(224年)になって、歩度根は朝廷に参内し献上物をささげ、手厚い賜り物を授かった。これ以後はひたすら辺境の守りに努めて、侵入略奪を行うことはなかった。一方、軻比能の部族はますます勢力を強めた。魏において明帝(曹叡)が即位すると、異民族との関係をつとめて平和にして軍事行動をなくそうとし、二つの部族を名目的に魏の支配下につなぎとめておくだけにとどまった。青龍元年(233年)になって、軻比能のほうから誘いかけて歩度根と堅固な和親関係を結んだ。
update:2009年09月14日
